近江町『金澤古蹟志』巻23 城西堤町筋 第9編
近江町 この町は尾山八町の一つであり、佐久間盛政の時代に設けられた町名であるという。 伝承によれば、かつて近江国(現在の滋賀県)の人々がこの地に移り住み、初めて家屋を建てたため、「近江町」と名付けられたとされる。 また、『金城深秘録』には、…
この薬は、産前産後の薬として「五香湯」と称され、非常に有名である。その製造を行う者は「廣岡五香屋」と呼ばれ、北廣岡村に本家と分家があり、毎月1日から15日までは本家で調合し、16日から月末までは分家で調合していた。この薬の製法は、もともと小立野石引町の奥村氏の家に仕えていた村田氏が伝えたもので、現在も村田氏の家で製造されている。
伝承によれば、昔、廣岡村のある百姓の娘が村田家の乳母となり、その子の代になったとき、乳母の功績に報いるために家伝の薬の処方を授けたという。そして時を経るごとにこの薬は名高くなったが、現在では村田家の五香湯を知る人は少なくなってしまった。この薬の伝来の歴史や、廣岡村へ伝わった時期については、村田家にも記録がなく、詳しいことは分からない。ただ代々伝承されてきたのみであるという。
さて、廣岡の五香屋は本家・分家ともにこの薬の製造を家業として栄えてきたが、近年になり、近隣の田某という醤油屋でも五香湯を調合し、薬として販売するようになった。しかし、中には「廣岡の五香湯はこの醤油屋が製造しているものだ」と誤解する者もおり、それが原因でトラブルが発生したということである。
This medicine, known as “Gokoutou,” is a well-known remedy for pre- and postnatal care. The producers of this medicine are called “Hirooka Gokouya,” and they have both a main house and a branch house in North Hirooka Village. The medicine is prepared at the main house from the 1st to the 15th of each month and at the branch house from the 16th to the end of the month.
The formula for this medicine was originally passed down by a certain Mr. Murata, who served the Okumura family in Koizumi Ishibikimachi. Even today, the Murata family continues to produce it.
According to legend, a farmer’s daughter from Hirooka Village once became a wet nurse for the Murata family. In the next generation, as a gesture of gratitude for her service, the family entrusted her with their secret medicinal formula. Over time, the medicine gained great fame, but today, few people are familiar with the Murata family’s Gokoutou. There are no written records of its transmission history or the exact period when it was introduced to Hirooka Village, even within the Murata family. It is said that the formula has simply been passed down through generations.
The Hirooka Gokouya, both the main and branch houses, have made a living from producing this medicine for generations. However, in recent years, a certain soy sauce brewer named “Tanaka” from a nearby area also started preparing and selling Gokoutou as a medicinal product. Some people mistakenly believed that the Hirooka Gokoutou was being produced by this soy sauce brewer, leading to disputes and conflicts over the matter.
近江町 この町は尾山八町の一つであり、佐久間盛政の時代に設けられた町名であるという。 伝承によれば、かつて近江国(現在の滋賀県)の人々がこの地に移り住み、初めて家屋を建てたため、「近江町」と名付けられたとされる。 また、『金城深秘録』には、…
広岡町 元禄9年(1696年)の地子町の肝煎裁許状には、「折違町廣岡町」と記されており、『国事昌披問答』にも「廣岡町」「図書町」「古道町」と並んで載せられている。 考えるに、『年代摘要』によると、享保12年(1727年)6月、北廣岡村・長田…
広岡梨畑 廣岡村の土地は、以前は水田ばかりで、畑地はほとんどなかった。しかし、天保の末頃(1830年代後半)から田を潰して梨畑にするようになった。すると土地に適していたのか、梨の品質が良く、特に美味しく育つと評判になった。そのため次第に競う…
広岡五香湯 この薬は、産前産後の薬として「五香湯」と称され、非常に有名である。その製造を行う者は「廣岡五香屋」と呼ばれ、北廣岡村に本家と分家があり、毎月1日から15日までは本家で調合し、16日から月末までは分家で調合していた。この薬の製法は…
『前田創業記』には次のように記されている。 天正十二年(1584年)九月六日、佐々成政が兵を率いて富山城を出陣。九月十一日、能登の吾妻野に進軍し、末森城を急襲しようとした。成政は天神山に陣を敷き、甜屋町に放火した。その日の午後、末森城から飛…
御茶水番人居跡(広岡) 旧い伝承によると、かつてこの地には冷泉が湧き出ており、「御膳水(ごぜんすい)」として藩侯(藩主)が召し上がるための井戸であったという。当時は特に厳重に管理され、井戸のそばには「御茶水番人」として二人の番人の住居があり…
広岡御茶水 この水は、北広岡の村の脇にある放生寺の跡地の近く、小路の往来の脇にある。 『独尾記』によると、寛正3年(1462年)の記録に「石川郡広岡千容院という寺に水があり、『御菩薩池』と呼ばれている」と記されている。おそらく広岡にある御茶…
広岡三郎利成伝 『卑分脈大系図』によれば、林六郎光明の弟である豊田五郎光成の子に弘岡三郎利成がいる。その子として弘岡小三郎利光の名も記されている。また、『阪京軒季日録』の寛正六年(1465年)八月の条に、廣岡九郎という人物が見える。彼も三郎…
広岡村 郷庄分村名帳によると、石川郡戸板郷には南廣岡村・北廣岡村・長田村などがあり、これらの地域を総称して「廣岡」と呼んでいた。 『金澤事必』によれば、ある説として、平岡野の住民たちが豊田郷内に田畑を開拓し、そこへ家を移して村を作った。これ…
帰山助右衛門旧邸『金澤古蹟志』巻8 城外新堂形辺をOCR・画像認識・AIを駆使し現代語、そして英文として令和の現代でも読めるように編集しています。読みにくい箇所など誤認識している箇所もあると思いますがご指摘いただければ修正いたします。編集部…